大人しかったらダメですか?

私は昔のアルバムや成績表など学生時代のものは実家に置きっぱなしにしています📕

先日兄が結婚することになり、もうすぐお嫁さんが実家に住むことに。

当然に私の古い物はお邪魔になるので、ある日母親がそれらの意図的に放っておいたものたちを持ってきました。

そして久しぶりに懐かしき小学生時代の成績表を開いてみました。

もっと発言しましょう

私は小さい頃とても人見知りが激しく大人しかったです。

なぜそうだったか知りません😅

それは環境や遺伝的なこともあるかもしれませんが追求してもしょうがない、気がついたとき既にそうなっていましたから。

小学生時代は普通にお友達とよく遊んでいましたが、子供時代の公的な場・それは「学校の授業中」という環境になると手を挙げて発言するということがとても難しい子でした。

人前で注目されることが恥ずかしくて苦手なんですもん💧

一旦「授業中」を離れると仲の良いお友達と楽しく話したり冗談をよく言っておちゃらけたりする子でしたが、どうも「みんなの前で発言すること」が苦手。

そして先日、母親が持ってきた小学生時代の成績表を久しぶりに開いてみると当時の先生からこう書いてあります。

「もっと発言しましょう」「自信を持って意見を言えるように」

大まかですかだいたいこんなことです。

これは小学生時代一貫して似たようなことを書かれています。

今ではこれを見て夫のきーちゃんと笑ってますが、ふとこんな疑問が頭の中にむくむくと湧いてきました。

横浜には電車で行けるので最近よく出かけます。桜木町駅にSLが展示してあった❗️

発言しなきゃいけないのかという疑問

私はこの「もっと発言しましょう」「もっと自分から意見が言えるように」さらには「もっと積極的に」のような、まるでたくさん手を挙げて活発に振る舞える子供の方が優れていると誤解されるような言い回しがあまり好きではありません。

多分物がハッキリ言える方がこの先なにかと生きやすいというのもあるでしょうし、別にその言葉で優越をつけてはいないとは思います。

しかし受け取る方はそう誤解する可能性はあるかも。

いろんなタイプの人がいます。

もちろん親になった今でも、一生懸命に手を挙げて休み時間には活発な子供たちを見ていると思わず顔がほころんでしまいます。

かわいいなあと☺️

しかし教室で淡々として落ち着きのある雰囲気の子供も好ましいと思います。

自信無げに声が小さい子に対してもそうです。

別に自分から皆の前で発言することはなくても、そういう子って結構頭の中ではいろいろと考えているのではないでしょうか。

例えば大人の世界でも会社の会議中の場で最後まで一言も発言しないままの人が最後に意見を求められ、ズバッと周りを説き落とすことができるような人がいます。

最後まで沈黙していても頭の中は回転しているんですね🧠

ずっと沈着冷静に座していて最後に・・・というタイミングがさらに周りへの影響力を発揮するのかもしれません。

学校の話に戻りますが、黙っていて授業内容も上の空ばかりだと困りますが、キチンと聞いているならそれでもいいと思います。

定期的にSLの蒸気音や走り出す音が大音量で流れます。

ちょっと寄り道、外国ってどうなの?

一方外国などはどうなんだろう?

あくまで私が経験したことでしか語れないのですがとても積極的に発言します。

まるでそれが当然の権利だという印象です。

20代の頃カナダのある大学で授業を受けたことがあるのですが(ほんの短期だけ!しかも何説明してるかあまり理解できなかった😅)、その会場の9割以上が質問するために手を挙げているのを見て本当に驚いたことがあります。

私の大学時代はそのような光景は見たことがないです。(私の通っていた大学に関してなので他は知りません💧)

もし外国に留学などして仲間入りすることを考えているなら、もしかしたらその「発言しないこと」が「何を考えているかわからない人」という印象に繋がることがあるのでしょうか。

この辺は国際的な経験や感覚をお持ちの方に教えて欲しいとも思います。

それか自分がまた行くかですかね😅

2階からの眺め。2階には寛げそうなスタバがありました。

これからの日本人はそれではダメ?

もしかしたら「大人しくてもいい」「発言しなくてもいい」

そういった子供たちも個性として認めてあげて欲しいという私の感覚、あるいは「言葉少なげで静かに座っている」に似通った傾向の人に魅力を感じる、そういう感覚自体が「日本的」なものなのかもしれないと思いました。

沈黙は美徳という感覚やそこから美しさや魅力を見出すこと。

これから益々国際化して(現在も進んでいるようですが)さらにワールドワイドな感覚が求められるようになればその「発言できない子」の価値が相対的に下がってくるようなことになるかも❓

グローバルスタンダード、とかワールドワイドとか良くわからないのに書いてますが・・・よく言われている国を超えての意思決定に対し標準化、規格化することに否定的なわけではなくて・・・

何が言いたいんだろう? 

うまく書けませんが・・・💧

もしも私の感覚が「純日本的」であるならば、それは大切に残していっていいのではと思っているだけです。

よくこれからの日本はこうでなくては、といったような話を聞きますよね🇯🇵

それはどうしても国の枠組みを超えた経済活動や人の移動などのことを考えると仕方のないことなのかもしれません。

でも・・・どうしても「育った国による感性の違いなどが無くなったら、そんな世界って面白いのだろうか?」といつも思います。

客車の中は新しく作ったのかとても綺麗です。入れないようになってました。

バランスがとれている

なんか話が逸脱してるのかな😅

自分の大人しかった性格の話と国際的な比較のようなことは同じ線上で話せないような気がしますが😅

まあ、いいとして・・・💦

昔から「運動神経の良い子」「活発な子」「積極的に活動に取り組む子」などが良いとされたり注目を浴びがちです。

学校だけに限ったことではないのかな・・・?

私はそのような子とは対照的な子の良さも声に出して欲しいと思います。

これはちょっとふざけて書きますが、「あなたがかけっこで1等勝になれたのは足が遅い私のおかげだよ」ってこと。

これよく言いますよね。

みんな役割があるってこと。

そうなると「もっと積極的に発言しましょう」といった私の成績表に書いてあるようなことではなく、もっと別のことが書かれることになるかもしれません。

それが何かわかりませんが、先生が感じるその子の良さがきっとあるのではないでしょうか。

あ、でもここで当時の先生を擁護しますとキチンと別の良いと思う点も書いていてくれていました。

そう、「大人しい」(大人しいという言い方もかなりアバウトですが😅)だって裏を返せば長所なはずです。

言いたいことは一面的に捉えないということです。

しかしそこでやはり大事なのは「親」が一番よく見てあげることかもしれません。

私はそうやって自分の子供たちを意識して観察しているつもりですが、どうしたらよいものか私自身が未熟な人間なので😅 見落としや見過ごして気づかないということが多々あると感じています。

しかしそう意識しているだけでも違うのではないか。

よく「バランス」ということを聞きます。

我も我もという人ばかりでは収拾がつかなくなる恐れがあるということです。

その逆のタイプや中間のタイプなどいろんな人がいて世の中バランスがうまく取れているのではないか。

それに関してはその人の性格や性質だけに当てはまるわけではなくて、職業や住む地域、消費傾向などあらゆることに言えるのかもしれません。

ある特定の方向に偏ってしまうとどうなるのでしょう・・・。

さてさて、急に持ち主に舞い戻ってきた成績表📔

ウン十年前のものとはいえ状態はとても良いです。

こんな係やってたの⁉️って思ったりもします。

たまには開いてタイムスリップしてみるのもいいですね😃

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