子育ては迷路のよう

梅雨時でムシムシしています🐌

今日も除湿を兼ねてエアコンを稼働中。掃除などすると汗でベタベタです💧

ところで最近長男のくちぱっちゃんがなぜか早くに登校する🏫

早く行っても校門は時間にならないと開いていません。

多分あの感じだと開く15分くらい前には校門の前にいるのではないでしょうか。

「何でそんなに早く行くの❓行っても待つだけだよ❓」

そう聞くと「早く行きたいんだよ、いいの❗️」

大体そんな感じの漠然とした答えしか返ってきません。

私は少し心配になってしまいます💧

「お友達に嫌なことをされているのではないか・・・」

そういった類のことでついしつこく問い詰めてしまうことがあります。

横浜シンボルタワーからの眺めです。堤防が台風でやられたのか工事中です。

学校で嫌がらせをうけていた

なぜかというと、くちぱっちゃんは幼稚園時代からたまにお友達に嫌なことをされたり、外見についてからかわれたりしたことがあります。

それは大人からしたら他愛もないセリフですが、本人にしたらとても傷ついている。

言い返したりできないので、どうしても相手が調子に乗ります。

それで本人は登校前になるとお腹が痛くなったり、吐き気がしたり・・・。

聞くとどうやら傷つくことを数人から言われている。

当時の私の判断は「先生に相談してみるからとりあえず行っておいで」でした。

それが是が非かはわかりません。

その時はそうしました。

くちぱっちゃんのタイプから考えると、休んでも解決しないからです。

先生にも相談しましたが、その後も保健室から電話が掛かってきたりしました。

「給食の時に喉に詰まった感じになったらしくて気持ち悪いらしい」

「お腹が痛いと言っています」

そのような内容です。

迎えに行くと涙を目に涙を溜めていたこともあります。

その後どのようにして解決したのかと言うと、先生に再度掛け合ったりなどして、相手の子供たちが本人に直接謝るという対応でなんとか嫌がらせは無くなりました。

結果本人は「謝ってもらった。もうしなくなった」と言って普通に朝も調子が悪いと訴えること、早退することもピタッとなくなりました。

シンボルタワーの展望台のような通路です。タンカーが出入りしているのが見えます⛴

親の対応、また同じことの繰り返し

このような過去があるので、私は何か少し怪しい動きがあると「またやられてるのか❓」といった心配に囚われます。

心配になることは親だったら当然ですよね。

しかし前回あまりにもしつこく「どうしたの、 何があったの❓」と本人が言うまで執拗に問い詰めたことは反省していました。

それ以後「いつでも聞くから言いたくなったら言ってね」

そのように本人から「言ってみようかな」といった気力のようなものが高まってくるのを待つことにしていました。

本人のプライドも傷つけないかもしれないですし。

実際そう行動していたと思います。

しかし・・・先日はまた執拗に聞いてしまった・・・💧

あ〜あ、という感じです。

何を言ったかと言うと「また嫌なことされてるの❓」です。

本人は目に涙を浮かべて「違う〜‼️」

しかし何度か聞いてしまいました💧

登校してから「しまった・・」と反省。

なぜそんなに何度も追求するのでしょう。考えました🧠

はっきりしないことが不安なんですよね、私が。

物事ってわからない事に対してはどうしても不安になります。

逆に現状に対し「こういうことだ」、未来に対し「先はこうなってます」ということがわかっていれば安心です。

だからハッキリさせたかった。自分のために。

物事に白黒つけたいってことでもあると思います。

何度も反省しても性格って線路のジャンクションを切り替えるみたいに「ガチャン!はい切り替え完了!」みたいにはならないと本当に痛感しました🚇

1度は軌道修正できても、たまにまたフラフラっと元の軌道に戻ってきてしまうことがある。

この繰り返しを何度か修正していくことを試みていくことで、少しづつ元の起動に戻ることが少なくなっていくのでしょうか。

シンボルタワーの外見はこんな感じ🗼

じゃあどうしたらいいのか

夫のキーちゃんに話してみると、彼は「今元気に行けてるならいいじゃん」と言います。

あまり気にならないようです。

もしかしたら何かあるかもしれないけど現状行っているならいい。

「もしかしたらそれでまた行けなくなるなどなるかもしれないけど、今はそうするしかない」だそうです。

確かに何かある前に問い詰めてハッキリさせ早めに対策をとる、という考え方もあります。

それは以前の心配性気味の私の考え方でした。

でも夫のようにあまり深追いや深読みしすぎないで「とりあえず様子をみる」という方向に軌道修正したのだから、またそれで様子をみてみようという結論になりました。

確かに深読みし過ぎる感はあるんですよね、自分でも・・・😅

早く行きたかったらそれは自分の選択なんだから尊重してあげればいい。

「あ、そうなんだ、いってらっしゃ〜い❗️」

そういって軽く明るく送り出してあげればいいかもしれません。

もしかしたらの例で言うと・・・例えばですよ😅、

早く行くのは「下駄箱で誰か嫌な人に会いたくないからなのか」などそれこそ「おまえホント深読みオバちゃんやな〜❗️」という想像をしたとします😅

しかし万が一そうでも「嫌な人を避けるために早く行く」という選択を尊重してあげた方がいいかなあと思います。

それは私もやっていることだからです。

私は人が「ある人を避ける権利」「ある人とあまり話したくない権利」などを当然持っているという考え方をします。

権利というとちょっと言葉がかたい感じですが「選択肢」と言い換えてもいいかもしれません。

だから普段道でもあまりお喋りしたくない気分ならわざと遠回りしたり、かち合わないように避けて通ります🚲

だってその時はそういった気分なんですから。

嫌いな人なら尚更です。

ですから相手にも当然私を避ける権利はあると思ってそれを尊重しているつもりです。

もちろんそうは言ってもあからさまに避けられたりしたら、私は気が小さい方ですから結構傷つきます😭

でもしょうがないですし大体皆に好かれるなんてまず期待できないことです。

それが一旦自分の子供になると相手の気持ちをコントロールしようとするんですね😅

まあ、でもそれだけ大切だからということでもあります。

しかしもう一旦客観的視点に立ち、子供たちを一人の人格として眺めてみたいと思いました。

見守りながら必要なところで手を差し伸べるって難しいですね💦

どうしても暗がりでランプを灯してあげたくなります。

勝手に道しるべなり方向性を見えやすくしてあげたくなるんです。

その「道しるべ」自体正しいかなんて私自信もわかりません。

そもそも正しいの定義って何でしょう?

それは人それぞれ違うのではないでしょうか。

タワーの上に登って見下ろすとこんな感じです👀

子育ては迷路にいるようなものかもしれない

私は常々、子育てって結果論というか「育ってみないとわからない」と感じています。

その子育てという迷路は無数の道があって、進んでいる道が正しいかどうかもわからない。

道は薄暗くて前が見えにくい。

だからあまり「こう育てればこうなる」的な子育て論みたいなものは当てにはしていません。

他人の子育てなんて尚更です。性格も環境も全然違うんですから😅

どちらかと言うと古典のような読み物の中に結構ヒントがあるのではと思っています。

古典とはやはり理由があるから現代まで残っているのであって、私が普段悩んでいることの多くはとっくに先人たちが散々悩んだ末、その中にヒントを残してくれているのかもしれないと感じています。

「どうなったのか」というのは育ってみて、初めてなんとなく感じることができるのかも・・・ということなのかもしれません。

私にとって「私の子育ては正しかった」と言える物差しみたいなものってなんだろう❓

子供たちも大きくなれば七難八苦・辛労辛苦(大げさ😅)あるでしょう。

しかし「私❓ まあこれでいいんじゃない❓」って言えるようになることなんじゃないかなと思います。

その時初めて「まあいろいろあったけどそれで良かったのかな」と思えるのかも。

子育って本当に人生勉強ですね。

日々試練を与えられているようにも感じます。

わからないこと、見えないことだらけです。

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